政治を志す者は、日々に礼や法を作り上げてゆく。
道に志す者は、日々に礼や法を捨て去ってゆく。
日々に減らし、遂には適用しなくなる。
礼や法を適用せずに、政治をやり遂げる。
天下を取る者は、万事このようである。
礼や法などに頼るようでは、政治を行うに足りない。
(wonderer訳)
解説
当時の社会背景を考える
権力者がむやみに法を作り上げて適用し、人々を苦しめていたのでしょう。
また、礼や法が正義の根拠になり、不要な戦争まで行われていたのかもしれません。
そういったものを、ここでは否定しているのだと思います。
儒教との共通性を感じる
知識のこととされる場合が多いですが、ぼくはもっと政治的なものと思います。
儒教でいえば、徳治主義が近いと思います。
老子の場合、儒者が作り上げた礼や法に反対しているのですから矛盾しているようですが、
孔子の徳治主義という思想は、ここの主張とほぼ同じではないでしょうか。
著者は複数?
老子を訳していて思ったのですが、「天下を取る者は、…」以下の文とその前までの文では、明らかに文体が違うと感じます。
現存する老子の作者は複数人いるか、注釈などが紛れ込んだと考えられます。
郭店楚簡と帛書などでは一部違う部分があるので、後世の文なのは間違いなさそうです。
文体が違うと感じる部分はほかの章にもあったので、老子全体に言えることです。
また、天下とあるのだから、政治のことを指摘したものだと考えられます。
少なくとも、書き込みを入れた古の楚の人は、そう感じていたのでしょう。
具体的な事柄の抽象化
捨て去っていくということは、抽象化することだとも考えることができます。
学ぶ者は日々に多くの事柄を増やすが、必要なのはまとめることなのだと言いたいのかも知れません。