老子

    帛書老子
  1. 第38~39章
    1. 第38章
    2. 第39章
  2. 第40~49章
    1. 第40章
    2. 第41章
    3. 第42章
    4. 第43章
    5. 第44章
    6. 第45章
    7. 第46章
    8. 第47章
    9. 以下準備中
  3. 第50~59章
    1. 準備中

第39章

理想的な状態とは次のようなものである
天の理想的な状態は清らかであること
地の理想的な状態は安らかであること
神の理想的な状態は霊力があること
谷の理想的な状態は水が満ち溢れること
王や諸侯の理想的な状態は天下が正しくあること
しかしその状態が続くとこうである
天が清いままだと今度は裂けることを恐れる
地が安らかなままだとそれが崩れることを恐れる
神に霊力があるとそれが尽きることを恐れる
谷が満ち溢れると枯渇することを恐れる
王や諸侯が富貴なままだとそれを失うことを恐れる
いったい富貴というものは卑賤を基準にするから貴ばれ、
高いとは低いものを基準にするから高いのである
王や諸侯は自分を称して孤(独りぼっち)、寡(少ない)、不穀(悪い人)というが、
それは良くないもののことではないか。違うだろうか
だから理想を極めると、結局は意味がない
そういう理由で、
人々の欲しがる宝石や、山上にある不安定な大石のような存在になろうとは思わないのだ
(wonderer訳)

一般には「一」を「道」のこととするようですが、それでは道を否定することになり、矛盾するので「理想」と訳しました。ですがこの理想とは本当の意味での理想ではなく、人々が欲する富や地位のような理想のことだと思います。

この章の主張は理想の否定のようです。老子の理想は相対する2つの状態のない、均一な状態のことでしょうか?

ここで、戦争のある状態とない状態を考えてみましょう。
理想的な状態は戦争のない平和な世の中ですが、たとえ戦争が起こるという不安があっても戦争のないほうがいいに決まっています。だとしたら、この章の主張は一般的にみて正論とは言えないのではないでしょうか。

権力が欲しい人には権力を手に入れ、操ることが生きがいでしょう。逆に、富や地位というものは興味がない人にはあまり価値のないものです。社会における競争を、老子は冷静に見つめていたのでしょう。この章での老子の主張は老子の主観によるものです。

ものの価値は個人によって異なります。人の理想と自分の理想が違っても何もおかしくはないでしょう。しかし、人が生きていくためには他の人について配慮しなくてはなりません。問題なのは、自分も他人も同じように幸福であることではないでしょうか。

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