第45章
真理というものはどこか間違っているように思えるが、その価値は普遍である
本当の充足とは、不十分なようでも尽きないことである
本当に素直な心はどこか曲がっているかのようで、
巧みな技術はどこか未熟なようで、
核心を突いた言葉は表現が悪いかのようである
寒い時は良く動き、暑い時はじっとしているように、
不要な行いを止めさせることが、世の中はよくすることだ。
(wonderer訳)
世の中を良くするというのはどういうことでしょうか。これが正義、これが理想、といったことを行うことが、決して良いとは言えず、むしろ、正義とか善、道徳、理想といったものが世の中を悪くしてしまう。
たとえば、和を大事にするというと良いことのように思えます。しかし、間違いを指摘したり、改善するよう提案したりすることが和を乱すと批判されることがあります。それでは独裁になってしまいます。
また、道徳や正義の名のもとに、戦争や弾圧、虐待などが行われます。本来なら人を幸福にするはずのものなのに、かえって人を不幸に陥れては意味がありません。
このようなことが起こるのは、人が本能で生きる動物だからです。自分の本能(欲。物欲や支配欲、攻撃欲など)を一方的に満たすために、正義や道徳を持ち出すことが原因でしょう。普通、悪意でやっていなくても、知らない間にそうなってしまうことが多いように思います。
もちろん考え方や認識が間違っているということもありますが、それも人が生まれ持った性質の限界といえるでしょう。だから仕方がないと済ますことはできませんが…。
自分の欲を満たそうとしているのに、人はそれを正義や道徳のためとしてしまう。そのような無駄なことを行うな、「道」に即して生きよ、と言いたいのでしょう。
この章での老子の目的は、人々の間違いを正すことにあるでしょう。正義や道徳のなかに真理があるには違いないが、人々は間違った使い方をしている。それを止めさせたい、ということだと思います。