老子

    帛書老子
  1. 第38~39章
    1. 第38章
    2. 第39章
  2. 第40~49章
    1. 第40章
    2. 第41章
    3. 第42章
    4. 第43章
    5. 第44章
    6. 第45章
    7. 第46章
    8. 第47章
    9. 以下準備中
  3. 第50~59章
    1. 準備中

第47章

家から出なくとも天下はわかる
窓から空を見なくても天文は読める
世の中を見れば見るほど不可解になり、
知識が増えれば増えるほど難解になる
だから聖人は行かないで知り、見ないで理解し、作為なしに成し遂げる
(wonderer訳)

ここでは人の無力さを主張していると思います。世の中を観察したところで、結局はよく理解できない。天文を見たところで、結局は何も予見はできない。だから、凡人があれこれと何かをしたところで無意味では無いか、と言いたいのでしょう。

しかし、何もしなければ何も知ることができない、と言うもの事実です。何かを理解しようとしても理解できないことはよくあると思います。知識を増やしても、また新たな疑問が出てくるものです。では結局無意味かというと、それは違うでしょう。

本当に無意味なら、人の知識は増えないはずですが、実際は進歩しています。問題なのは基本となる知識と考え方だと思います。何かを理解する上で、必要な知識と考え方を持っていなければ、 何も分からない。

例えば、地球が太陽の周りを回っているということに関して考えてみます。

昔は地球(大地)が世界の中心と考えられていました。人間の自然な感覚で理解しようとすると、その結論には矛盾は感じないでしょう。地球(大地)を中心とする宇宙論も作り上げられ、信じられてきました。

しかし、ガリレオは木星を観察して、 地球以外を回っている星を発見しました。ここで地球が中心ではないことが判明、天動説に矛盾が見つかりました。これをきっかけに、それまで天文学者が集めてきた星の運行データから、太陽を中心として惑星が動いていると考えたほうがより自然であるとされました。

重要な点は、地球(大地)が世界の中心という認識と、それを裏付ける理論の存在 でしょう。基本となる知識や認識、考え方が間違っていたのです。

たとえ正しいように思えても、またどんなに立派に思える理論でも、事実と違えば意味がない。結局、知識と考え方が間違っていると何も理解できない 、ということです。老子のいう聖人とは、鋭い視点から正しい結論を導く人物、ということになります。

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